お湯掛け七福神

伊東駅裏の山裾に、洞源山松月院があります。
もともと松原の地にあったこのお寺は、寛文年間(1661~1672)の水害で流失し、泥の中に埋まってしまいました。
村の人々の汗の結集によって、あちこちに家も建ち、田畑の作物も実り始めた頃、僧の亀丹は水害を避け、眺めのよい小高い地を選び(現在の地)寺を再興させました。時に宝永三年(1706)のことでした。

それから十余年が過ぎた享保年間(1716~1735)のこと、松月院の再興を祝うかのように、ほど近い天神畠という所から金像の「弁財天」が掘り出されました。
亀丹は早速、寺の近くに祠を建て、弁財天を納めました。その話を聞いた村人達は、こぞって「福を授かりますように・・・」、「祭りの笛がうまく吹けますように・・・」と松月院への坂道を足しげく登って来たそうです。

また、現在の湯の花通りかいわいには沢山の温泉が沸き、溢れるお湯が湯川(ゆがわ)となり、路傍のあちこちに湧き出る湯から「湯端」の地名が付いたのでしょう。
時空を越え平成の世に、21世紀への「人と自然」すべての幸福を願って、ネオ七福神を安置いたしました。
そして、いにしえの村人達が、疲れた体を温め癒したであろう伊東の象徴である温泉の湯けむりと融合して、湯の花「お湯かけ七福神」の誕生となりました。

紐とかれる何れの歴史にも必ず、はじめの第一歩があったように、湯の花通りの皆で育み、お客様に可愛がっていただき、より多くの皆様の耳に触れ、訪ねて下さいますことを願っております。